偏愛

茶渋を落とさないマグカップの話を、聞きに行った

校正者のIさんのマグカップは、底に八年ぶんの茶渋の輪がある。「落とすと味が変わる気がして」。本人も、実際には変わらないと認めている。

窓辺の卓に置かれた、釉薬のむらが残る陶器のマグカップ
八年ぶんの茶渋。輪は内側のほうが濃い。

底が茶色い

Iさんのマグカップは、外から見ると生成りの陶器だが、覗き込むと底に茶色い輪ができている。八年ぶんの茶渋だ。

八年前、旅先の窯元で買った。二千八百円。取っ手が指に合うかどうかだけを見て決めたという。

洗うが、こすらない

使ったあとは水で流し、スポンジで内側を軽くなでる。茶渋の部分には触れない。漂白剤は八年間使っていない。

「底の茶渋は落とさないんです。落とすと味が変わる気がして」

本当に味が変わるのか聞くと、「変わらないと思います」と言われた。それでも落とさない。

直さなくていいところは、直さない

Iさんは校正の仕事をしている。一日に六時間から八時間、原稿を一行ずつ追う。誤りを見つけて指摘するのが仕事だが、実際の作業の大半は「直さない判断」だという。

「明らかな誤りでなければ、書いた人の書き方を残します。仕事でも、直さなくていいところは直さないので」

その話をしたあとで、カップの茶渋を指した。「これも、たぶん同じです」

八年で、このカップに注いだ回数はおよそ七千回。茶渋の輪の色は一様ではなく、内側のほうが濃い。途中で置きっぱなしにした回数の分だと本人は言う。校正が難しい日ほど、冷めるまで放置するらしい。

使い始め
2018年
買った場所
旅先の窯元
価格
2,800円
手入れ
内側は軽くなでるだけ。漂白しない

取材の終わりに、Iさんはカップを洗った。内側を二度なでて、底には触れなかった。

乾かす場所も決まっている。窓際の、右から二番目。

書き手

鈴木

ライター。ものの手入れと修理を追っている。

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べつの見方

説明のつかない習慣と、説明のつく便利さ。

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日曜の便り

この取材で書けなかった話を、日曜に送ります。

校正者・Iさんへの取材では、記事に入りきらなかったやりとりがいくつかありました。そういうものを週に一度だけ送っています。

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